幕末の風雲児!坂本龍馬~土佐の偉人コラム「歴史のなかの土佐人たち」~
幕末の風雲児!坂本龍馬~土佐の偉人コラム「歴史のなかの土佐人たち」~
2023.11.15
RKCラジオで毎週火曜日午後5:15から放送中の「歴史のなかの土佐人たち」

高知に縁のある武将や政治家、実業家、学者、作家などの偉人、有名人は、どんな人物だったのか?諸説ありますが、伝記や言い伝えを元に短くまとめたプロフィール、そして意外と知られていないエピソードなども交えて毎回一人ずつ紹介しています。

ぐるぐるこうちでは、放送には入りきらずカットした部分も含めて紹介します!
抜群の人気!11月15日は坂本龍馬の誕生日で命日
土佐が生んだ“偉人・有名人”と言えばやはり「坂本龍馬」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?!世界的な視野、先見の明、そして驚くべき構想力と行動力で激動の幕末の時代を動かした立役者して、日本の偉人の中でもトップクラスの人気を誇る人物ですよね。

そんな坂本龍馬が生まれたのは1835年、天保6年11月15日。1867年慶應3年、奇しくも11月15日、33才の誕生日に京都の近江屋で何者かに暗殺されました。

生まれた場所は現在の高知市上町一丁目で、電車通り沿いに誕生地の碑が立っています。龍馬の誕生日でもあり命日でもある11月15日には、毎年多くの龍馬ファンが訪れることでも知られています。

そして龍馬ファンが訪れるといえば、高知県屈指の観光名所「桂浜」。太平洋を見おろす位置に立つ「坂本龍馬像」は有名ですね。実は坂本龍馬の像といえば桂浜だけではありません!他にも北海道や東京、長崎、京都など全国にあるのですが、その数が驚き!何と30を超えるそうです!龍馬人気の高さが窺えます…!

銅像の大きさはさまざまですが、龍馬の身長は?というと、173センチから179センチの間と言われていて、当時の日本人男性の平均身長が150センチ台だったのと比べると、とても大柄な人物でした。姉の坂本乙女も身長が175cm前後だったと伝えられているので、坂本家は高身長の家系だったのかもしれませんね!
龍馬の「名前」って?「あだ名」のアザって?
龍馬という名前は通称で、実は元服後の正式な名前ではありません。
元々は「直陰(なおかげ)」、そして自分で改名した「 直柔(なおなり)」。手紙に署名する時などには、このほかにも才谷梅太郎など、いろいろな名前が使われていました。

龍馬の名言としても有名な「日本を今一度洗濯いたし申し候」は、姉の乙女に宛てた手紙の中の一文で、最後の署名には「弟 直陰」と書かれています。

ちなみに龍馬の父の本名は「直足(なおたり)」、兄は「直方(なおかた)」で坂本家の男性の本名には「直」の字を入れるのが慣例だったようです。

呼び名といえば…龍馬の幼馴染としても有名な武市瑞山、別名武市半平太とは遠縁で、お互いを「アザ」、「アギ」と呼び合う仲だったそうです。
龍馬の顔にホクロが多かったことから、龍馬は半平太から「アザ」、特徴的な角張った長いアゴだった半平太は、龍馬から土佐弁でアゴを意味する「アギ」と呼ばれていました。

大人になってからも二人の交流は続きますが、龍馬はよく半平太の奥さんを怒らせていたそうです。その理由は、いつもトイレ代わりに半平太の庭の隅で用を足していたから。これは怒られても無理がないですね…。いくつになってもやんちゃな素顔が伺えます。      
同年代を生きた人物からの評判も高かった!
そして龍馬の妻と言えば「おりょう」が有名ですが、他にも結婚の約束をしていたと言われる女性もいました。龍馬24才の時、江戸へ剣術修行に出ていた時に知り合った「千葉佐那」です。

現在の皇居付近にあった修行先の千葉道場の娘で、その腕前はもちろんとても美しい女性だったと言われています。龍馬亡き後も生涯独身を貫いた彼女の墓には、坂本龍馬の妻を意味する「坂本龍馬室(しつ)」と記されています。

では、同じ時代を生きた人たちは龍馬をどのように見ていていたのでしょうか?
西郷隆盛いわく「龍馬くらい度量の大きい人は他に見たことがない」。
伊藤博文は「彼は全国色々飛び回っていたが、どこに行っても受け入れられる人物だった」。
板垣退助からは「細かいことは気にしない、型にはまらない人物。40才まで生きていたら
岩崎弥太郎のような実業家になっていただろう。」という回想が残されています。

明治の時代を駆け抜ける龍馬も見てみたかったですよね。今回は「坂本龍馬」をご紹介しました。

【原稿監修協力 高知県立坂本龍馬記念館】

執筆担当のあとがき📝
坂本龍馬と言えば、歴史上の人物の中でも圧倒的人気を誇る人物です。功績やエピソードも本当にたくさん残されていて、原稿に書ききれなかった分がたくさんありました。その中で1つ紹介します!

坂本龍馬の名が広く世に知られるようになったきっかけが、1904年に始まった「日露戦争」です。開戦前夜の明治37(1904)年2月6日、明治天皇の皇后である昭憲皇太后の夢枕に、長身で蓬髪(長く伸びてくしゃくしゃに乱れた髪)の白装束の武士が立ち、自分が坂本龍馬であることを告げると「誓って皇国の御為に帝国海軍を護り奉る」と述べたそうです。

坂本龍馬のことを知らなかった皇后は翌日、側近の香川敬三にそのことを伝えると、田中光顕(土佐出身の政治家)を通じて写真を取り寄せ昭憲皇太后に献上。夢枕に立ったのが龍馬だったと確認しました。この話は「皇后の吉夢」として、同年4月の新聞各紙で報道され大評判に。戦いの結果、日本は強大な軍事国家ロシアに奇跡的に勝利。「坂本龍馬」の名前は日本国中に知られることとなりました。

逸話やエピソードには諸説ありますが、今から190年ほど前に生まれた坂本龍馬が未だに多くの人々を魅了する魅力ある人物なのは間違いなさそうです!



 
ぐるぐるこうち編集部
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