薩長同盟の立役者・龍馬の盟友・中岡慎太郎~土佐の偉人コラム「歴史のなかの土佐人たち」~
薩長同盟の立役者・龍馬の盟友・中岡慎太郎~土佐の偉人コラム「歴史のなかの土佐人たち」~
2025.03.25
RKCラジオで毎週火曜日午後5:15から放送中の「歴史のなかの土佐人たち」

高知に縁のある武将や政治家、実業家、学者、作家などの偉人、有名人は、どんな人物だったのか?諸説ありますが、伝記や言い伝えを元に短くまとめたプロフィール、そして意外と知られていないエピソードなども交えて毎回一人ずつ紹介しています。

ぐるぐるこうちでは、放送には入りきらずカットした部分も含めて紹介します!
『ユズを北川村の名産品にしたのは中岡慎太郎がきっかけ!』
今回紹介するのは中岡慎太郎


出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 

激動の幕末を盟友・坂本龍馬と共に駆け抜けた中岡慎太郎は、1838年・天保9年4月13日生まれ、慎太郎は現在の安芸郡北川村にあった大庄屋の待望の長男として誕生し、幼名を福太郎と名付けらました。

勉強熱心な子どもだったようで、4歳で近くのお寺で読書を習い、7歳の頃には塾に片道1時間半かけて歩いて通っていたそうです!

幼い頃の慎太郎の性格ですが、こんなエピソードが残されています。
生まれ故郷・北川村の中央に流れる奈半利川(なはりがわ)で幼少期の慎太郎も川遊びをしていたそうです。
その奈半利川に高さ約20mの断崖絶壁「巻の淵(まきのふち)」がありますが、慎太郎は村の子どもたち数人と川遊びをしていた時、そのてっぺんから飛び込んで見せたそう。人々はその肝っ玉ぶりに舌を巻いて「末恐ろしき少年」と噂しあったそうです。

そして北川村と言えば「ユズ」の産地としても有名ですが、これにも中岡慎太郎が大きく関わっています

慎太郎が20歳の頃、病気の父親に代わって村を治めることになりますがその時に村民に推奨したのがユズの栽培。日陰でも育つユズは、水田の少ない村の飢餓対策になるだけでなく、塩代わりとして防腐剤や調味料にも利用できることから、家の裏や山裾に必ず植えることを勧めました。

今や日本有数のユズの生産地となった北川村!その歴史には、慎太郎の村民の為を思う気持ちがあったんですね。

そんな慎太郎に転機が訪れたのは24歳の時。武市半平太が結成した「土佐勤王党」に加盟、この時、後の盟友「坂本龍馬」も共に加盟しています。

でも北川村出身の慎太郎がどこで武市半平太と出会ったかというと、場所は今の田野町。
現在の高知県立中芸高校の場所にあった田野学館(がっかん)という土佐藩公認の学校で18歳の頃から、武市半平太に剣術の指導を受けていたのがきっかけです。

土佐勤王党加盟から2年後、当時土佐藩で尊王攘夷派への弾圧が始まっていたことから、身の危険を感じた慎太郎は、妻の兼(かね)に「高知へ行く」と言い残して脱藩、長州藩(今の山口県)へ渡り、その後二度と故郷の地を踏むことはありませんでした。
『同じ時代を生きた偉人たちからも高い評価を受けたその人物像』

慎太郎は脱藩後、長州藩の元で各地の志士との重要な連絡係を務めるなど様々な活動に携わっていきます。

やがて国を動かすには有力な藩同士で力を結び、強固な姿勢で幕府に対抗する路線に考え方が変わっていきます。この考えを元に、長州藩と薩摩藩を結託させようと慎太郎は奔走、そして締結されたのが1866年の薩長同盟です。

またこの後慎太郎は、西郷隆盛と土佐藩の板垣退助を引き合わせて薩土密約も成功させます。
さらに土佐藩からは脱藩の罪を許されて武力倒幕の為の組織「陸援隊」の隊長にも任命されました。

それからすぐの1867年・慶応3年11月15日に京都にあった醤油屋・近江屋の二階で坂本龍馬と一緒にいたところを、突然二人の刺客に襲われ、慎太郎は全身十カ所以上を斬られる重傷を負います。

龍馬は襲撃直後に亡くなりましたが、慎太郎は驚異的な生命力で生き延び、一時は焼きおにぎりが食べられるまでに回復、事件の証言も行っていましたが、襲撃から2日後に29歳の若さでこの世を去りました。

龍馬と慎太郎は性格も考え方も正反対で、ケンカもしていたそうですが龍馬からは、
「慎太郎に相談をしないと、他にするべき人物がいない」と言われるほど大きな信頼を寄せられていました。

他にも西郷隆盛からは「共に語り合うべき人物で、信念を貫く武士」、
板垣退助からは「ある面で坂本龍馬より優れており、参議になるだけの人格を備えていた」と評されるなど、実直で真面目、かつ頭の回転も速かった慎太郎は多くの人からその人物像を高く評価されていました。

そして中岡慎太郎というと左側が真っ黒く塗りつぶされている笑顔の写真(本記事上部の写真)が有名ですが、当時、武士が写真におさまる時はキリっと口を閉じておくのが普通だったので、慎太郎の写真は例外中の例外!!非常に珍しい写真になります。

また写真では本人が頬杖をついているように見えますが、実は慎太郎の隣に写っていたはずの女性の腕で、顔をなでられて笑っている様子だったようです。慎太郎の素の一面が垣間見られる貴重な一枚ですよね。

また慎太郎が友人にあてた手紙から、お酒に酔うと議論を交わすのが好きだった、ということが分かっています。その友人宛の手紙には、「昨日は酒で酔っ払ってしまい、いつものようにくどくどと議論をふっかけてしまい、お恥ずかしいです」と書かれています。

まさに「土佐は議論を肴に酒を飲む」ということを地で行くようなエピソードですよね。

今回は明晰な頭脳と抜群の行動力で村・藩・そして国を救おうと奔走した「中岡慎太郎」をご紹介しました。

📝執筆担当のあとがき📝

北川村と言えば「ユズ」の名産地!
北川村産のユズを使った調味料やドリンクは高知県内だけでなく、県外でも販売されています。しかし、この名産品の裏に「中岡慎太郎」がいたことは意外にも多くの人には知られていません。

また国を変えようと奔走した慎太郎ですが、共に活動した土佐の偉人・坂本龍馬の知名度の高さも相まって、何をした人物なのかあまり良く知らないという方も多いのではないでしょうか?
頭脳明晰・抜群の行動力で幕末を代表する偉人たちからも高い評価を得ていた中岡慎太郎。実は薩長同盟や薩土密約の成功も慎太郎が大きく関わっています。

他にも田中光顕の証言の中には「ちょっとしたもめ事が起こっても慎太郎が出てくるとうまくまとまった」という話も。
場の空気を読むのも上手だったのかもしれませんね。

今回監修の協力をしてくれた北川村の中岡慎太郎館では、中岡慎太郎の生涯や意外なエピソードも詳しく知ることができるので、皆さんぜひ皆さん立ち寄ってみてください!

RKCのラジオ番組「歴史のなかの土佐人たち」の特設サイトもぜひご覧ください🔻

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