和菓子のはなし ~なぜ柏?土佐藩との意外な関係「柏餅」のはなし~
和菓子のはなし ~なぜ柏?土佐藩との意外な関係「柏餅」のはなし~
2025.05.02
RKCラジオで毎月第1木曜日の午前10時35分頃から放送している「和菓子のはなし」

和菓子の魅力、美味しさを、創業元禄初年(1688年)西川屋老舗・池田真浩さんと
楽しくお伝えしています。

今回紹介するのは、こどもの日にちなんだ柏餅ついて!!



※2025年5月時点での内容です

『なぜ柏?実は深い理由があった!』
5月5日と言えばこどもの日
今回池田さんが紹介してくれたのはこどもの日に欠かせない柏餅です。



しかしなぜ柏餅は柏の葉っぱなのか!?
それは柏は子どもの健やかな成長を願う日にぴったりだから!
柏の葉っぱは、冬を越え、春に新しい芽が出るまで木に残ります。まるで、子どもが立派に育つまで見守る親のようですよね。

その様子を、親から子へと、家系が受け継がれていく様に見立て、子孫繁栄や子どもの健やかな成長を願う思いを込めて、柏の葉っぱを使うそうです。
柏には深い理由があったんですね。 

節句菓子として柏餅が定着したのは、江戸時代の武家社会と言われます。
子どもがちゃんと育って家を継いでくれるというのは武家にとっては大切なこと。
また、江戸時代にあった参勤交代では各地の大名たちが江戸と行ったり来たりしていたので
こういう縁起を担ぐお菓子の文化も各地に広まっていったそうです。
『土佐と柏の意外な関係』
各地に広まった…とはいえ実は、江戸時代の「土佐」には柏餅は恐らくなかったものと思われると池田さんが教えてくれました。というのも、柏の木は涼しい地域のもので西日本には基本的に自生しないそう!西日本では、柏の代わりにサルトリイバラの葉で包む餅がつくられるようになりました。

「山帰来(サンキライ)餅」、高知では「しば餅と呼ばれます!
柏が生えていない場所でも「家系が受け継がれる」というのが当時とても大切な願いだったことがわかりまよね。

さらに!柏は、土佐藩にとって縁深い葉っぱなのを知っていましたか?

初代土佐藩主・一豊公の父・盛豊公がある戦いの最中に、背中の旗を折られてしまいます。合戦中の武士にとって背中の旗は、自分の所在や所属を知らせる大切な信号の役割を持っていたので、そのままというわけにはいかない!そこで、近くにあった柏の枝を取り、背中に挿して戦ったそうです。

戦いが落ち着き、勝利を手にした瞬間、見上げてみるとその枝には3枚の葉が残っていました。それ以来、山内家の家紋は丸に三つ葉柏となったんだそうです。
柏の葉っぱは、土佐藩・山内家にとって勝利のシンボルだったんですね。

そういう背景も含めて柏餅を味わうと、さらに深みが増す気がしますよね。

次回は6月5日(木)の放送です!お楽しみに★
  • X
  • Instagram
関連記事
イチオシ!グルメ
記事ランキング
おすすめ
TOP