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日本を代表する魚類学者!田中茂穂~土佐の偉人コラム「歴史のなかの土佐人たち」~
日本を代表する魚類学者!田中茂穂~土佐の偉人コラム「歴史のなかの土佐人たち」~
2024.03.09
RKCラジオで毎週火曜日午後5:15から放送中の「歴史のなかの土佐人たち」

高知に縁のある武将や政治家、実業家、学者、作家などの偉人、有名人は、どんな人物だったのか?諸説ありますが、伝記や言い伝えを元に短くまとめたプロフィール、そして意外と知られていないエピソードなども交えて毎回一人ずつ紹介しています。

ぐるぐるこうちでは、放送には入りきらずカットした部分も含めて紹介します!
「日本の近代魚類分類学の父」日本人で初めて本格的に魚類分類学を研究した田中茂穂
魚類学者で日本の近代魚類分類学の父と呼ばれる「田中茂穂」

初めて名前を聞いたという方も多いかもしれませんが、彼は日本人で初めて本格的に魚類分類学を研究し、170種近くもの多くの新種を発表。その中の90種類が今でも認定されているという魚類学の世界に多大な功績を残した人物です。新種の発見だけでなく、日本中の魚を調査し、地方によって呼び名がバラバラだった魚に標準和名をつけて「魚類学の基礎」を作るという偉業も達成しました。

そんな田中茂穂は明治11年(1878年)8月16日、現在の高知市上町で誕生。上街小学校、今の第四小学校に入学後、現在の高知追手前高校に進学、首席を争っていた同級生には世界的な物理学者としても知られる寺田寅彦がいました。

茂穂本人は中学校時代を振り返り、なりたかったものは弁護士、軍人、政治家、宗教家、小説家など気の多い学生だったと回想していますが、様々なことに興味を持つ少年であったことが伺えます。

高校時代は文学にのめり込んで、小説家を志したこともあったようです。動物や植物への関心は幼い頃からずっと持ち続けていましたが、魚の学問で一生を暮らすことにはなるとは当時は思いもよらないことでした。
魚の研究も「食べる」ことも大好き!魚を求めて全国を行脚
明治34年(1901年)に東京帝国大学(現在の東京大学)理学部動物学科に入学。1903年のある日、教授から鹿児島県で獲れた海水魚の標本の鑑定を命じられます。その数は膨大で鑑定を始めた当初は本人もさほど関心がありませんでしたが、これが魚の研究を始めるきっかけとなりました。

茂穂はもともと解剖学の方に興味があったようですが、分類の方が面白くなってしまい抜け出せなくなった、と後に語っています。卒業後も大学で魚の研究を続け、アメリカで当時魚類学の世界的権威であったジョルダン博士と出会い、共同執筆で『日本産魚類目録』を発行。日本の魚類を初めて系統的にまとめ上げ、世界の魚類学会にも大きく貢献しました。実は茂穂は語学が堪能で、英語はもちろんラテン語やギリシャ語など、7か国語に通じていました。

1926年に行ったグソクダイ類の調査で「分類“学”」に興味を持ち、深く研究するようになっていきます。田中茂穂が研究人生で執筆した論文の数は300。著書は50冊にも及びますが、科学的な研究だけでなく食べることも大好きだったようで、東京の本マグロ、大阪のマダイのように、各地の美味しい魚についても実際に足を運んで詳しく調べています。

また東京の天ぷらの衣には、鶏の卵が混ぜてあり天下一品!富山県の名物「スケトウダラの子漬」を初めて食べた時は驚くほど旨かった。刺身にはわさびではなく、ニンニクや生姜の方がピリッとして旨い、など調理法や郷土料理にも精通し、その探究心も並々ならぬものでした。

水族館に展示されている魚の見どころを分かりやすく解説するなど、専門家でなくても魚に親しめるような内容・ユーモラスな語り口で記した著書も数多く残しています。また故郷・鏡川の水質汚染に心を痛めるなど、環境問題にも大きな関心を寄せていました。

そして、茂穂は愛弟子であった元高知大学教授の蒲原稔治(かもはら・としじ)など、有能な魚類学者も数多く育てています。教え子たちによると、大学講師と言えば「白衣」が普通だった中、茂穂はただ一人、サテン地の黒い衣を羽織っていたそう。白衣を着ない理由はみんなと一緒は面白くないから、だったとか。またあまり親しくない人や目上の上官にもビシッと意見を言う、なかなかの「いごっそう」だったようです。

同じく土佐出身で大先輩にあたる植物分類学者の「牧野富太郎」、そして同級生だった天才「寺田寅彦」の2人を尊敬し続けていたという田中茂穂。1974年12月24日、96歳で魚の研究に人生を捧げた生涯に幕をおろしました。

今回は「田中茂穂」をご紹介しました。

【原稿監修協力 高知市立龍馬の生まれたまち記念館】



執筆担当のあとがき📝

田中茂穂と聞いてピンとくる高知県民はまだまだ少ないのではないでしょうか。私自身も高知市のオーテピアの高知みらい科学館で展示されている、高知にゆかりのある科学者たちを紹介するパネルでその存在を初めて知りました!

調べてみると「日本の近代魚類分類学の父」と称えられるほど、とんでもない偉業を成し遂げた人物で、牧野富太郎、寺田寅彦と並ぶ高知を代表する学者ということが分かりました。田中茂穂をより多くの県民の方に知ってもらいたいと、ラジオ番組の歴史のなかの土佐人たちで紹介することになりました。

「人と同じはつまらない」「上司にも遠慮なく意見を言う」など、「いごっそう」なエピソードも土佐人らしい一面ですよね。また自分自身の性格も「めちゃくちゃ気が短い」と分析しています。

高知を代表する学者と聞かれたら牧野富太郎、寺田寅彦、そして田中茂穂!皆さん!ぜひ覚えておいて下さいね♪


ぐるぐるこうち編集部
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