
『天災は忘れられたる頃来る』天才で多才だった物理学者・寺田寅彦~高知ゆかりの偉人コラム「歴史のなかの土佐人たち」~
2025.09.18
高知に縁のある武将や政治家、実業家、学者、作家などの偉人、有名人は、どんな人物だったのか?諸説ありますが、伝記や言い伝えを元に短くまとめたプロフィール、そして意外と知られていないエピソードなども交えて毎回一人ずつ紹介しています。
『物理学・文学・地球科学などでマルチな才能を発揮した天才 「寺田寅彦」』
「天災は忘れた頃にやって来る」の名言を残した日本を代表する物理学者であり文学者、そして地球科学の第一人者と呼ばれる寺田寅彦は1878年(明治11年)11月28日に東京都・麹町で生まれました。
姉が三人の末っ子として誕生した寅彦は3歳の頃、陸軍勤務であった父親や家族と共に両親の故郷である高知へ移り住みました。住まいは高知城の真北、現在の高知市小津町の一軒家でした。この家は戦時中に焼失してしまいましたが、茶室と母屋が復元されて「寺田寅彦記念館」として、高知市指定の史跡に認定されています。

(寺田寅彦記念館 高知市小津町4-5)
寅彦の父親の利正はとても教育熱心な人物だったようで、寅彦が江ノ口小学校へ通っていた時から英語を習わせたり、当時では大変高価だったドイツ製の顕微鏡を買い与えました。寅彦は12歳の時、高知県立尋常中学校(今の高知県立追手前高校)を受験しますが失敗。その年には肺尖(はいせん)カタルという、肺結核の初期症状のような病気にかかり学校を休学します。
病弱な一人息子を心配した父親は近所にあった小津神社に、息子の健康と尋常中学校の入学祈願のため訪れています。

(小津神社 高知市幸町9-1)
その甲斐もあったのか翌年寅彦は中学校に無事合格。境内には父親が病気治癒と合格のお礼に奉納したという、石橋や灯籠、玉垣が今も残されています。


(父親の利正の名前とその長男寅彦の文字が刻まれている灯籠)

(玉垣)

(寄贈した石橋)
姉が三人の末っ子として誕生した寅彦は3歳の頃、陸軍勤務であった父親や家族と共に両親の故郷である高知へ移り住みました。住まいは高知城の真北、現在の高知市小津町の一軒家でした。この家は戦時中に焼失してしまいましたが、茶室と母屋が復元されて「寺田寅彦記念館」として、高知市指定の史跡に認定されています。

(寺田寅彦記念館 高知市小津町4-5)
寅彦の父親の利正はとても教育熱心な人物だったようで、寅彦が江ノ口小学校へ通っていた時から英語を習わせたり、当時では大変高価だったドイツ製の顕微鏡を買い与えました。寅彦は12歳の時、高知県立尋常中学校(今の高知県立追手前高校)を受験しますが失敗。その年には肺尖(はいせん)カタルという、肺結核の初期症状のような病気にかかり学校を休学します。
病弱な一人息子を心配した父親は近所にあった小津神社に、息子の健康と尋常中学校の入学祈願のため訪れています。

(小津神社 高知市幸町9-1)
その甲斐もあったのか翌年寅彦は中学校に無事合格。境内には父親が病気治癒と合格のお礼に奉納したという、石橋や灯籠、玉垣が今も残されています。


(父親の利正の名前とその長男寅彦の文字が刻まれている灯籠)

(玉垣)

(寄贈した石橋)
『寺田寅彦が夏目漱石の作品に登場?!』
中学校に入学すると成績が抜群だったことから、飛び級で2年に編入。中学時代は専門書から小説まであらゆるジャンルの本を読み漁ったと回想しています。科学者としても文学者としても類い稀な才能を発揮した寅彦の原点はここにあったかもしれませんね。
17歳の時に尋常中学校を主席で卒業。この時寅彦と主席を争っていたのが、後に「日本の魚類分類学の父」と呼ばれる魚類学者の「田中茂穂(しげほ)」です。日本を代表する学者2人が、同じ学年で机を並べて勉学に励んでいたというのは驚きですよね。
ちなみにどの教科でも好成績をおさめていた寺田寅彦流の勉強方法が「抜き書き」。教科書の中の重要な点や教師が黒板に書いた絵図なども、ノートではなく教科書の欄外にそのまま書き写すやり方で、特に暗記科目ではこのやり方が良かったと自伝の中で語っています。
尋常中学卒業後は熊本県の第五高等学校(現在の熊本大学)へ進学し、ここで運命の出会いを果たします。英語教師「夏目漱石」と、物理教師「田丸卓郎」との出会いです。

(熊本県の第五高等学校時代の寺田寅彦 写真撮影場所:寺田寅彦記念館)
夏目漱石の影響で俳句やエッセイに興味を持ち、文学者としての才能を開花させました。漱石の一番弟子だった寅彦を漱石は高く評価しており、自身の弟子たちに「寺田寅彦はどの方面へ進んでも一流の人物になるだろう」と話していたそうです。小説「吾輩は猫である」と「三四郎」に学者が登場しますが、どちらも寺田寅彦がモデルとなっています。
そして寅彦は在学中に物理学の教師、田丸卓郎の影響で物理の面白さに目覚め、物理学専攻を決意。自然科学への道へ進むことになります。ちなみに寅彦の生涯の趣味だったヴァイオリンも、この田丸卓郎からの影響です。
17歳の時に尋常中学校を主席で卒業。この時寅彦と主席を争っていたのが、後に「日本の魚類分類学の父」と呼ばれる魚類学者の「田中茂穂(しげほ)」です。日本を代表する学者2人が、同じ学年で机を並べて勉学に励んでいたというのは驚きですよね。
ちなみにどの教科でも好成績をおさめていた寺田寅彦流の勉強方法が「抜き書き」。教科書の中の重要な点や教師が黒板に書いた絵図なども、ノートではなく教科書の欄外にそのまま書き写すやり方で、特に暗記科目ではこのやり方が良かったと自伝の中で語っています。
尋常中学卒業後は熊本県の第五高等学校(現在の熊本大学)へ進学し、ここで運命の出会いを果たします。英語教師「夏目漱石」と、物理教師「田丸卓郎」との出会いです。

(熊本県の第五高等学校時代の寺田寅彦 写真撮影場所:寺田寅彦記念館)
夏目漱石の影響で俳句やエッセイに興味を持ち、文学者としての才能を開花させました。漱石の一番弟子だった寅彦を漱石は高く評価しており、自身の弟子たちに「寺田寅彦はどの方面へ進んでも一流の人物になるだろう」と話していたそうです。小説「吾輩は猫である」と「三四郎」に学者が登場しますが、どちらも寺田寅彦がモデルとなっています。
そして寅彦は在学中に物理学の教師、田丸卓郎の影響で物理の面白さに目覚め、物理学専攻を決意。自然科学への道へ進むことになります。ちなみに寅彦の生涯の趣味だったヴァイオリンも、この田丸卓郎からの影響です。
『多くの分野で稀有な才能を発揮した偉人』
熊本の高校を卒業した後、東京大学理学部に入学。実験物理学科を首席で卒業し、57歳で他界するまで、地震研究や地殻運動など地球科学を中心とした研究や、優れた随筆を世に送り出しました。特に地震の研究は日本における防災の礎を築いた、と言われています。
また寅彦は金平糖のツノができる仕組みや椿の花の落下、茶碗から立ち上る湯気から天気を科学的に解説するなど、身近な物を題材にした実験や研究を重ねていきました。
そして35才の時に発表した論文「X線と結晶」は、同時期にイギリス人親子がノーベル賞を受けた研究とほぼ同じもの。日本という地理的な要因や研究設備の相違がなければ、寅彦がノーベル賞を受賞していたのではないかと言われています。
「ねえ君、不思議だと思いませんか?」と弟子たちによく口にしていたという寺田寅彦。実は大の甘党だったそうで、机の下の壺に入れていた黒砂糖をかじりながらいつも勉強し、関東大震災の時には、中に黒砂糖の固まりを入れ、外側に砂糖をまぶしたおにぎりを持って、被災地を歩き被害調査を行っていたそうです。
最後に土佐が世界に誇る3人の研究者にまつわるエピソードを。田中茂穂が寅彦に「土佐出身で誰が一番偉い人か」と尋ねたところ、寅彦はすぐに「牧野富太郎」と答えました。後日、田中茂穂が牧野富太郎に会った際に同じ質問をすると、富太郎博士は即座に「寺田寅彦」と答えたそうです。
今回は多くの分野で稀有な才能を発揮した、土佐が生んだ天才「寺田寅彦」をご紹介しました。
原稿監修協力:高知県立文学館

(高知市のオーテピア北側に設置されている寺田寅彦の銅像)
~執筆担当のあとがき~
この原稿を執筆をする前は、寺田寅彦と聞いても物理学者?くらいの知識しかありませんでした。しかし調べてみればみるほど、次元の違う多才さに驚かされました…。物理学者としてはもちろん、文学者としても一流。地震研究で「防災」の礎を築く、また音楽家としての才能もあり、尺八やバイオリンも嗜んでいます。しかもどの分野でもその才能を発揮するというすごさです…。
幼い頃から病弱だった寅彦は、1935年(昭和10年)12月31日、57歳の時に転移性骨腫瘍で東京の自宅で亡くなり、遺骨は高知市東久万の寺田家墓地に埋葬されています。
同じ年の土佐縁の人物には、日本の近代魚類分類学の父と呼ばれる「田中茂穂」。そして戦後の日本を率いた吉田茂も!錚々たるメンバーです。現在の高知追手前高校で首席を争っていた田中茂穂は生涯寺田寅彦を尊敬し、寅彦が若くして亡くなったのを惜しんでいました。(田中茂穂についてはまた書きます。魚好きは絶対知っておくべき土佐の偉人!)
寅彦の「天災は忘れた頃にやって来る」の言葉には、起こった災害を忘れることなく毎日の備えをしっかりとしようという警句の意味も含まれています。(例えば1週間断水した場合のシミュレーションをしてみるだけでも、不足しているものがめちゃくちゃ多いことに気づかされます)災害はいつ起こるか分かりませんが、この放送が日頃の備えを今一度見直してみるきっかけの一つになればと思います。
また寅彦は金平糖のツノができる仕組みや椿の花の落下、茶碗から立ち上る湯気から天気を科学的に解説するなど、身近な物を題材にした実験や研究を重ねていきました。
そして35才の時に発表した論文「X線と結晶」は、同時期にイギリス人親子がノーベル賞を受けた研究とほぼ同じもの。日本という地理的な要因や研究設備の相違がなければ、寅彦がノーベル賞を受賞していたのではないかと言われています。
「ねえ君、不思議だと思いませんか?」と弟子たちによく口にしていたという寺田寅彦。実は大の甘党だったそうで、机の下の壺に入れていた黒砂糖をかじりながらいつも勉強し、関東大震災の時には、中に黒砂糖の固まりを入れ、外側に砂糖をまぶしたおにぎりを持って、被災地を歩き被害調査を行っていたそうです。
最後に土佐が世界に誇る3人の研究者にまつわるエピソードを。田中茂穂が寅彦に「土佐出身で誰が一番偉い人か」と尋ねたところ、寅彦はすぐに「牧野富太郎」と答えました。後日、田中茂穂が牧野富太郎に会った際に同じ質問をすると、富太郎博士は即座に「寺田寅彦」と答えたそうです。
今回は多くの分野で稀有な才能を発揮した、土佐が生んだ天才「寺田寅彦」をご紹介しました。
原稿監修協力:高知県立文学館

(高知市のオーテピア北側に設置されている寺田寅彦の銅像)
~執筆担当のあとがき~
この原稿を執筆をする前は、寺田寅彦と聞いても物理学者?くらいの知識しかありませんでした。しかし調べてみればみるほど、次元の違う多才さに驚かされました…。物理学者としてはもちろん、文学者としても一流。地震研究で「防災」の礎を築く、また音楽家としての才能もあり、尺八やバイオリンも嗜んでいます。しかもどの分野でもその才能を発揮するというすごさです…。
幼い頃から病弱だった寅彦は、1935年(昭和10年)12月31日、57歳の時に転移性骨腫瘍で東京の自宅で亡くなり、遺骨は高知市東久万の寺田家墓地に埋葬されています。
同じ年の土佐縁の人物には、日本の近代魚類分類学の父と呼ばれる「田中茂穂」。そして戦後の日本を率いた吉田茂も!錚々たるメンバーです。現在の高知追手前高校で首席を争っていた田中茂穂は生涯寺田寅彦を尊敬し、寅彦が若くして亡くなったのを惜しんでいました。(田中茂穂についてはまた書きます。魚好きは絶対知っておくべき土佐の偉人!)
寅彦の「天災は忘れた頃にやって来る」の言葉には、起こった災害を忘れることなく毎日の備えをしっかりとしようという警句の意味も含まれています。(例えば1週間断水した場合のシミュレーションをしてみるだけでも、不足しているものがめちゃくちゃ多いことに気づかされます)災害はいつ起こるか分かりませんが、この放送が日頃の備えを今一度見直してみるきっかけの一つになればと思います。
『25/9/18追記 高知市の寺田寅彦記念館に行ってみた!』
多才な寺田寅彦についてもう少し詳しく知りたいと訪れたのが高知市小津町にある「寺田寅彦記念館」です。
高知市出身の執筆担当も今回初めて訪問しました!

早速入り口には寺田寅彦の言葉として最も有名な「天災は忘れられたる頃来る」の文字が。

そして、こちらの石碑にも注目。
「寺田寅彦先生邸址」の下に書かれているのは「牧野富太郎」の文字。
そう!こちらは世界的な植物分類学者・牧野富太郎(朝ドラで知名度が一気にあがりました!)の書。

本文でもエピソードを紹介しましたが、牧野富太郎博士が尊敬していた人物の一人が寺田寅彦。
15歳以上年下の寅彦の才能・実力を高く評価していました。
中へ進むと大きな敷地が広がっています。
その広さは404坪!高知城のすぐ北側に位置する場所でこの広さはすごい…!
そして入館料はなんと無料!

中には寺田寅彦ゆかりのものが数多く展示されていました!(写真撮影もOKとのこと!)


こちらは実際に本人が使っていたオルガン。30歳の時にヨーロッパへ留学した際に、夏目漱石に預かってもらっていたというエピソードが残されています。
ひょっとすると夏目漱石も弾いたのかな?と想像が膨らみます。

若い頃から晩年の頃まで、本人の写真も数多く展示されています。

(東京大学の講師時代 27歳頃の寅彦)
貴重な直筆の手紙もじっくりと読むことができました。


こちらは「風景」と題された油絵。絵の才能もすごい…。

寅彦が少年期を過ごしたこの家は父の利正が1880年頃に購入したもの。母屋は1945年、第二次世界大戦の空襲で残念ながら焼失してしまいました。高知市のホームページによると、現在ある茶室は1977年にまた主屋は1984年に寅彦の長男・東一氏所蔵の「家相図」を基本資料として、寺田家および居住していた人々の所持する古写真や記憶などをもとに復元したものなんだそうです。

(茶室)
母屋の北側にあるのが寅彦の勉強部屋だった建物。
この離れは戦火を逃れましたが1989年に老朽化した一部を改築したそうです。


勉強部屋の中にある机にも年期を感じます。
館内では寺田寅彦の随筆や小中学生向けの人物伝がリーズナブルな価格で販売されていました。

記念に購入!
「寅彦さん物語」(税込 150円)
親しみやすい語り口で寺田寅彦の生涯が簡潔に、分かりやすくまとめられています。大人も読んで楽しい内容ですよ!寺田寅彦入門編におススメです。

施設の職員の方にお話しを聞いたところ、良く訪れるのは県外から来た学者さんなんだとか。
高知県民でも訪れたことがある人はあまり多くない「寺田寅彦記念館」
入館料も無料で、貴重な資料もたくさん展示されている歴史好きには穴場のスポットです。
ぜひ一度足を運んでみてください!

(勉強部屋前の花畑で 幼少期はトンボやチョウなど昆虫も大好きで丁寧な標本を作っていたそう!)
【寺田寅彦記念館】
住所:〒780-0915 高知県高知市小津町4-5
開館時間 :午前9時00分~午後5時00分 ※見学のための入館は午後4時30分まで
入館料:無料
休館日:毎週水曜日・年末年始(12月27日~1月3日) ※ 臨時休館の場合も有
駐車場:建物北側に有り

問い合わせ先 :088-873-0564(高知市寺田寅彦記念館)/ 088-832-7277(高知市民権・文化財課)
高知市出身の執筆担当も今回初めて訪問しました!

早速入り口には寺田寅彦の言葉として最も有名な「天災は忘れられたる頃来る」の文字が。

そして、こちらの石碑にも注目。
「寺田寅彦先生邸址」の下に書かれているのは「牧野富太郎」の文字。
そう!こちらは世界的な植物分類学者・牧野富太郎(朝ドラで知名度が一気にあがりました!)の書。

本文でもエピソードを紹介しましたが、牧野富太郎博士が尊敬していた人物の一人が寺田寅彦。
15歳以上年下の寅彦の才能・実力を高く評価していました。
中へ進むと大きな敷地が広がっています。
その広さは404坪!高知城のすぐ北側に位置する場所でこの広さはすごい…!
そして入館料はなんと無料!

中には寺田寅彦ゆかりのものが数多く展示されていました!(写真撮影もOKとのこと!)


こちらは実際に本人が使っていたオルガン。30歳の時にヨーロッパへ留学した際に、夏目漱石に預かってもらっていたというエピソードが残されています。
ひょっとすると夏目漱石も弾いたのかな?と想像が膨らみます。

若い頃から晩年の頃まで、本人の写真も数多く展示されています。

(東京大学の講師時代 27歳頃の寅彦)
貴重な直筆の手紙もじっくりと読むことができました。


こちらは「風景」と題された油絵。絵の才能もすごい…。

寅彦が少年期を過ごしたこの家は父の利正が1880年頃に購入したもの。母屋は1945年、第二次世界大戦の空襲で残念ながら焼失してしまいました。高知市のホームページによると、現在ある茶室は1977年にまた主屋は1984年に寅彦の長男・東一氏所蔵の「家相図」を基本資料として、寺田家および居住していた人々の所持する古写真や記憶などをもとに復元したものなんだそうです。

(茶室)
母屋の北側にあるのが寅彦の勉強部屋だった建物。
この離れは戦火を逃れましたが1989年に老朽化した一部を改築したそうです。


勉強部屋の中にある机にも年期を感じます。
館内では寺田寅彦の随筆や小中学生向けの人物伝がリーズナブルな価格で販売されていました。

記念に購入!
「寅彦さん物語」(税込 150円)
親しみやすい語り口で寺田寅彦の生涯が簡潔に、分かりやすくまとめられています。大人も読んで楽しい内容ですよ!寺田寅彦入門編におススメです。

施設の職員の方にお話しを聞いたところ、良く訪れるのは県外から来た学者さんなんだとか。
高知県民でも訪れたことがある人はあまり多くない「寺田寅彦記念館」
入館料も無料で、貴重な資料もたくさん展示されている歴史好きには穴場のスポットです。
ぜひ一度足を運んでみてください!

(勉強部屋前の花畑で 幼少期はトンボやチョウなど昆虫も大好きで丁寧な標本を作っていたそう!)
【寺田寅彦記念館】
住所:〒780-0915 高知県高知市小津町4-5
開館時間 :午前9時00分~午後5時00分 ※見学のための入館は午後4時30分まで
入館料:無料
休館日:毎週水曜日・年末年始(12月27日~1月3日) ※ 臨時休館の場合も有
駐車場:建物北側に有り

問い合わせ先 :088-873-0564(高知市寺田寅彦記念館)/ 088-832-7277(高知市民権・文化財課)
『歴史のなかの土佐人たちの特設サイトはこちら』

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