第5回 「日本における七面鳥/その1」
第5回 「日本における七面鳥/その1」
2023.12.13
大阪府藤井寺市出身、高知県中土佐町在住の松下昇平さん。水曜コラム「大野見と七面鳥」は、毎週水曜日に更新予定です。

第5回目の今回は「日本における七面鳥・その1」と題してお送りします!


※内容は2023年12月時点での情報です
日本における七面鳥の歴史
今回は日本における七面鳥について。そもそも日本ではほとんど馴染みのない鳥で、食用としてはもちろん、動物園でもあまり見かけないかもしれません。

そんな七面鳥はいつ、どこで、どこから日本にやってきたのか?私自身、七面鳥の仕事に携わるようになり湧いてきた疑問を調べていくと、日本における七面鳥の歴史はとても面白く、現在への繋がりを感じることができます。

とはいえどのようにして日本における七面鳥の歴史を調べていけばよいのかと、インターネットでの検索から始めた7年前・・・しかしながらインターネット上にはほとんど情報はなく…古本屋巡りを始めました。

元々古本屋に足を運ぶことは好きだったので、動物や食にスポットを当てて、より専門的な古本屋に的を絞り「七面鳥」という文字を探し続けました。結果、以下のような書籍に出会うことができ、そこには七面鳥の歴史から魅力までがぎっしり書かれており、今でも読み返しながら七面鳥の魅力を噛みしめています。(それぞれの書籍の紹介はまた別の機会にさせてください。)



これらの文献によると、日本に七面鳥が登場したのは、西暦1600年代の徳川家光時代。場所は長崎県の出島。オランダから日本にやってきました。そうです!当時の日本はこの出島が貿易の中心であり、様々な世界の文化がこの出島を通して日本にやってきました。

七面鳥はこの出島で暮らすオランダ人が、自分たちの食用として持ち込んだのが、日本初の七面鳥となりました。(七面鳥の原産国はアメリカ大陸。世界の七面鳥事情は、こちらもまた別の機会に・・・)

この当時七面鳥は「カラクンチョウ」と呼ばれていました。七面鳥のオランダ語「kalkoen(カルクン)」を、江戸時代の日本人が「カラクン」と表したといわれ、漢字では唐国(外国という意味の漢字)が当てられていたという文献も残っています。葛飾北斎が描いた作品にも「カラクン」と書かれた七面鳥らしき絵を確認することができます。

そもそも「七面鳥(しちめんちょう)」という日本語名は、七面鳥の顔色が青、紫、赤、ピンク、白などその時の状況により様々な色に変化することから「七つの面を持つ鳥」ということで「七面鳥」と名付けられました。顔色が様々変化するのはオスの七面鳥です。



メスの七面鳥は常に白ピンク色の顔色をしており、オスのような変化は見られません。



少し脱線してしまいましたが、日本における七面鳥の原点は長崎県の出島にあり、貿易商として働くオランダ人が自家消費用として持ち込んだ七面鳥が、いま大野見で続く七面鳥生産への繋がりのひとつにもなります。

意外と文字にしてみると、あっという間に紙幅が迫ってきます・・・この日本における七面鳥はより丁寧にお話をさせていただきたい部分になりますので、いくつかに分けて書かせていただきます。

師走のお忙しい時期に大変恐れ入りますが、引き続きお付き合いをいただけましたら幸いです。

次回もよろしくお願いいたします。
 
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松下昇平
高知県中土佐町在住、大阪府藤井寺市出身。1988年3月9日生まれ。
2017年、中土佐町大野見地域で60年続く七面鳥生産の仕事に魅力を感じ中土佐に移住。
「大野見と七面鳥」について様々な角度、形で学び、発信しています。
コラムは毎週水曜日更新予定!
 
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