大の愛犬家だった総理大臣・吉田茂~土佐の偉人コラム「歴史のなかの土佐人たち」~
大の愛犬家だった総理大臣・吉田茂~土佐の偉人コラム「歴史のなかの土佐人たち」~
2023.09.15

RKCラジオで毎週火曜日午後5:15から放送中の「歴史のなかの土佐人たち」

高知に縁のある武将や政治家、実業家、学者、作家などの偉人、有名人は、どんな人物だったのか?諸説ありますが、伝記や言い伝えを元に短くまとめたプロフィール、そして意外と知られていないエピソードなども交えて毎回一人ずつ紹介しています。

ぐるぐるこうちでは、放送には入りきらずカットした部分も含めて紹介します!

『戦後の日本を率いた和製チャーチルの生い立ち』
吉田茂は戦後、日本のリーダーとして活躍した政治家!


(出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」)

丸眼鏡で葉巻をくわえたふくよかな風貌から「和製チャーチル」と呼ばれ、戦後の日本の基盤を作り上げたことで有名ですが、政治の世界に入ったのは意外や意外?実は60代後半からなんです。

そんな吉田茂は、1878年(明治11年)9月22日東京都生まれ、宿毛市出身の実業家で民権運動家としても活動していた「竹内綱(つな)」の五男として誕生しました。

18才年上の長男は世界的な建設機械メーカー「KOMATSU」、そして自動車メーカー「日産」の創設者の竹内明太郎

でもなぜ茂の名字が「竹内」ではなく「吉田」なのか?それは父・綱が横浜で貿易商を営んでいた親友「吉田健三」に「次に生まれた子どもが男の子だったらそちらに養子に出す」と約束をしており、茂が3才の時に約束通り吉田家に養子に出されたからなんです。

実業家として横浜有数の富豪だった義理の父健三が40才の若さで他界、11才の時に若くして莫大な遺産を引き継いだ吉田ですが元々お金に無頓着だった上、一流のものを好み、芸者遊びも派手だったことから、政界に入る前にその財産のほとんどを使い果たしてしまったそうです。

吉田茂の三女の麻生和子は回想録の中で、「吉田茂の政治資金は夫の実家である麻生家からこっそり注ぎ込んでいて、結果、麻生家の財産は吉田の総理在職中に半分にまで減ってしまった。」と語っています。

ちなみにこの和子の息子にあたるのが、第92代内閣総理大臣を務めた麻生太郎氏になります。

28才で東京帝国大学、今の東京大学を卒業後、外務省に入り、外交官としての人生をスタートさせます。その時、父の竹内綱からお祝いとして贈られたのが「兼定(かねさだ)」という名の刀剣。

「官僚というのは賄賂など誘惑が多いが、そんな時はこの刀で誘惑を断ち切れ」と渡されたそうです。そしてこの刀、実は吉田茂の披露宴で新郎の代わりに出席した、というエピソードが残っています。というのも披露宴を迎えた当日、新郎の吉田茂は入院中・・・やむなく新郎席には家宝だったこの刀剣「兼定」を飾ったそうです。

吉田茂は外交官として中国、イギリス、イタリアの駐在大使を歴任した後、外交官を退職。1945年、終戦直後の10月に67才で外務大臣に就任し、政治家デビューを果たします。翌年には内閣総理大臣に就任、通算5期内閣総理大臣を務め、政界を引退したのは85才の時でした。
『あだ名はワンワン宰相?!大の犬好きだった!』
吉田茂が総理大臣に就任した時のあだ名が「ワンワン宰相」ワンマンではなく、ワンワン??というのも、実は吉田茂は大の犬好きで、多い時には10匹以上の愛犬と暮らしていました。


(写真提供 大磯町郷土資料館)

柴犬、シェパード、スピッツなど色々な種類の犬を飼っていましたが、中でも特に気に入っていたというのがケアンテリアという種類の犬で、サンフランシスコ講和条約を締結する為アメリカに渡った時にオスとメスをペアで購入し、日本に連れ帰って来ています。

名前はサンフラン、そして二匹の間に生まれた子にはシスコと名付けて非常に可愛がったそうです。他の愛犬にもブランデー、ウイスキー、シェリーなど洋酒好きだった吉田茂らしいユニークな名前を付けていました。

また当時では珍しい!?愛犬にサンタクロースの洋服を着せて写真を撮ったり、愛犬専用アルバムを作るなど、とてもチャーミングな一面も持った愛犬家でした。


(写真提供 大磯町郷土資料館)

また生涯富士山をこよなく愛し、亡くなる直前までその風景を眺めていたと言われています。

そして吉田茂と言えば総理就任中、衆議院予算会議の質疑応答中に「バカヤロー」と暴言を吐いて、衆議院解散の原因を作ったことでも有名です。大声で叫んだというイメージがあるかもしれませんが、席に着きながらボソっとつぶやいた声をマイクが拾った、というのが真実なんだそう。

高知県内には吉田茂に縁のある記念碑がいくつもあります。例えば高知市上町にある坂本龍馬生誕の碑、高知城にある板垣退助像、山内一豊之妻の銅像の題字は、達筆で知られていた吉田茂が筆をふるっています。近くに行った際はぜひ注目してみてください!

今回は戦後の日本を率いた唯一無二のリーダー「吉田茂」をご紹介しました。
【原稿監修協力 大磯町郷土資料館】

🔻高知龍馬空港の玄関口に立つ吉田茂像🔻



📝執筆担当のあとがき📝

私が吉田茂に抱いていた最初のイメージは“怖い人”というものでした。
小さい頃、何かの本で国会中に「バカヤロー」と発言し、国会解散のきっかけをつくったという記述を目にしたのがその理由だと思います。貫禄ある風貌も相まって、ますます土佐の“いごっそう”な人なんだろうなと想像していました。

しかし!!調べてみると、超がつくほどの愛犬家で専用アルバムを作るなどチャーミングな一面が!しかも政治の世界に入ったのが60代後半というところにも大変驚きました…!
戦後を代表する政治家で何度も内閣総理大臣を務めた人だったので、若い頃から政治家としての道を歩んでいたと(勝手に)想像していました…!
お兄さん(竹内明太郎)もすごい人ということも初耳👂いずれお兄さんについても執筆したいと思っています!!

今回原稿の監修をお願いした神奈川県にある旧吉田茂邸である「大磯町郷土資料館」には再現された邸内や調度品を見ることができるそうです。ぜひ近くに行った際には立ち寄ってみて下さいね。
その他の土佐人は「歴史のなかの土佐人たち」公式サイトで紹介中☆


ぐるぐるこうち編集部
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