和菓子のはなし ~伝統的な土佐の和菓子「ケンピ」のはなし~
和菓子のはなし ~伝統的な土佐の和菓子「ケンピ」のはなし~
2024.07.04
RKCラジオで毎月第1木曜日の午前10時35分頃から放送している「和菓子のはなし」

和菓子の魅力、美味しさを、創業元禄初年(1688年)西川屋老舗・池田真浩さんと楽しくお伝えしています。

今回紹介するのは伝統的な土佐の和菓子「ケンピ」ついて!

『伝統的な土佐の和菓子!芋けんぴのルーツとなった “ケンピ” とは』
今回池田さんが紹介してくれたのは、土佐の歴史を現代からなんと安土桃山時代までさかのぼれてしまう西川屋老舗の「ケンピ」



ケンピと言えば、高知県外でも知名度の高い『芋けんぴ』を思い浮かべる人も多いかと思います。でもわざわざ名前に「芋」とついているということは、元々芋じゃない『ケンピ』から名前がきたんだろうと想像がつきます。

実際、芋けんぴの元祖を名乗っている安芸市の近藤芋けんぴ店では、芋を細切りにして糖蜜を絡めたお菓子ができた時「『ケンピ』に似ているというので『芋けんぴ』と名付けました」とされています。これが大正時代のことだそうです!

ここで芋ではない、西川屋のケンピはどうやってできたのか!?歴史をたどると池田さんの祖先が江戸時代に創作したものが原点!西川屋では代々「素麺の製法にヒントを得た」と伝えられているそうです。

確かに小麦粉でできていて、細い棒状という見た目は何となく素麺っぽいかも。

実はこの素麺、かつて土佐の国では特産品としていたという歴史があるんです!土佐では麦作が行われており、豊臣秀吉が全国各地の農地の調査をさせた記録「太閤検地帳」でも、麦類の記録が登場します。それを使った素麺が特産品になっていったそう。

西川屋は土佐藩の菓子商人として仕えていましたが、『素麺』の御用商人でもありました。西川屋がかつて使っていた木版には「御用素麺菓子処」と彫られています!これは県民でも知らなかったという人も多いかもしれません!

『お殿様同士の贈り物にも重宝された土佐の素麺』
お店に伝わっている古文書には、藩からの御用で素麺を作った際の注文書も残っているそう。その一つは弘化4年・西暦1847年に土佐藩13代藩主・山内 豊熈(とよてる)より、8回に渡って合計1,100杷の白髪素麺のご注文を賜ったという記録も。歴史を感じます…!

ちなみにこの「白髪素麺」というのは、白髪にたとえるほど極細で口当たりの良い上質な素麺のこと。「白髪」は「白髪が生えるほど長生き」ということから、長寿の象徴とされてきた縁起物でもありました。

山内豊熈からの注文の中で土佐の隣・宇和島藩の伊達宗城(むねなり)に送られた記録が2023年に宇和島藩側の記録と照合が取れました。
当時の宇和島藩の記録に「土佐藩主から手紙を添えた素麺一箱をもらった」という内容の記述が見つかったそう!!大名同士の贈り物にも西川屋の素麺が重宝されていたんですね。

土佐の麦作が素麺を生み、その素麺は土佐藩から他藩への重要な贈り物として使われていました。そしてその素麺の製法が『ケンピ』を生み出す。『ケンピ』のルーツには、土佐ならではの贈り物の歴史が詰まっているんですね。

西川屋直営店では「涼菓まつり」を開催中🎵
ぜひ足を運んでみて下さい!





次回の放送は8月1日(木)の放送です!お楽しみに★
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