![第4回 「大野見に七面鳥がやってきた」](https://img.retsta.jp/rkc/media/guruguru/article/column/column_1701814032318/231206サムネ.jpg)
第4回 「大野見に七面鳥がやってきた」
2023.12.06
大阪府藤井寺市出身、高知県中土佐町在住の松下昇平さん。水曜コラム「大野見と七面鳥」は、毎週水曜日に更新予定です。
第4回目の今回は「大野見に七面鳥がやってきた」!
※内容は2023年12月時点での情報です
第4回目の今回は「大野見に七面鳥がやってきた」!
※内容は2023年12月時点での情報です
大野見地域に「七面鳥」がやってきたきっかけ
今から約60年前の昭和35年(1960年)に、高知県中土佐町大野見に七面鳥がやってきました。
当時の大野見は「大野見村」という一つの自治体であり、(現在の中土佐町大野見地域)大野見に七面鳥を連れてきた人物は、大野見村の村議会議員さんでした。
この七面鳥は隣町の窪川町(当時)の興津から連れ帰ったとご本人から伺いました。珍しい鳥がいるということで、大野見に持ち帰り数羽の七面鳥から飼育が始まりました。この七面鳥を連れ帰った人物は後の大野見村長であり、現在も大野見にいらっしゃいます。色々とお話を伺うなかで、のちのちこの七面鳥が大野見の新たな特産品になる可能性があると思い持ち帰ったと、今でもお話をしてくれる気さくな方です。
![](https://img.retsta.jp/rkc/media/guruguru/article/column/column_1701814032318/image.png)
その後この数羽の七面鳥は少しずつ地域で広がりをみせ、昭和の終わり頃には数軒の農家さんが七面鳥を飼育し、100羽くらいまで増えてきました。大野見の一部地域ではクリスマスに七面鳥を出荷する機運が高まり、昭和62年7月に5軒の農家と大野見村の間で、「七面鳥を大野見の特産品にする」という目標を掲げた覚書が交わされました。これが現在も続く「大野見七面鳥生産組合」という団体の始まりです。団体は今年37年目となりました。
七面鳥の生産サイクルは、3月に卵が産まれ4月にふ化、そこから約8か月間育てて12月に出荷というもの。
![](https://img.retsta.jp/rkc/media/guruguru/article/column/column_1701814032318/, /media/guruguru/article/column/column_1701814032318/image.png)
大野見地域は11月頃から朝晩の冷え込みが始まり、この冷え込みとともに七面鳥に脂が乗り始め、肉質に旨みが出てきます。自然の成長サイクルの中で12月に最盛期を迎えます。
この生産サイクルが大野見地域にとってはとても重要。11月頃にはコメやショウガの収穫が終わり、翌年3月頃までは農閑期となります。この農閑期に副業として何か仕事はできないかという勤勉な大野見の皆さんと、その頃ちょうど最盛期を迎える七面鳥生産がうまく合致したのが、現在まで生産が続く大きな理由のひとつです。
七面鳥が大野見に来てから60年。その長い歴史とこれまで七面鳥生産に関わってこられた皆さんのご尽力に、日々責任を感じる毎日です。
日本では馴染みが薄く、食文化として食べる習慣のない七面鳥ですが、大野見という日本の山奥の知られざる地域では、このようなきっかけから小さいながらもひとつの食文化となっていると感じます。七面鳥を食べてほしいというのはもちろんですが、これまでの歴史や七面鳥との関りも知っていただいたうえで、まず興味を持っていただければ嬉しいです。
ではなぜ興津に七面鳥が存在していたのか?そもそも日本にはどのようにして七面鳥が登場したのか?日本で初めて七面鳥を食べた人物とは?
次回は日本における七面鳥の歴史についてお話させていただきます。
当時の大野見は「大野見村」という一つの自治体であり、(現在の中土佐町大野見地域)大野見に七面鳥を連れてきた人物は、大野見村の村議会議員さんでした。
この七面鳥は隣町の窪川町(当時)の興津から連れ帰ったとご本人から伺いました。珍しい鳥がいるということで、大野見に持ち帰り数羽の七面鳥から飼育が始まりました。この七面鳥を連れ帰った人物は後の大野見村長であり、現在も大野見にいらっしゃいます。色々とお話を伺うなかで、のちのちこの七面鳥が大野見の新たな特産品になる可能性があると思い持ち帰ったと、今でもお話をしてくれる気さくな方です。
![](https://img.retsta.jp/rkc/media/guruguru/article/column/column_1701814032318/image.png)
その後この数羽の七面鳥は少しずつ地域で広がりをみせ、昭和の終わり頃には数軒の農家さんが七面鳥を飼育し、100羽くらいまで増えてきました。大野見の一部地域ではクリスマスに七面鳥を出荷する機運が高まり、昭和62年7月に5軒の農家と大野見村の間で、「七面鳥を大野見の特産品にする」という目標を掲げた覚書が交わされました。これが現在も続く「大野見七面鳥生産組合」という団体の始まりです。団体は今年37年目となりました。
七面鳥の生産サイクルは、3月に卵が産まれ4月にふ化、そこから約8か月間育てて12月に出荷というもの。
![](https://img.retsta.jp/rkc/media/guruguru/article/column/column_1701814032318/, /media/guruguru/article/column/column_1701814032318/image.png)
大野見地域は11月頃から朝晩の冷え込みが始まり、この冷え込みとともに七面鳥に脂が乗り始め、肉質に旨みが出てきます。自然の成長サイクルの中で12月に最盛期を迎えます。
この生産サイクルが大野見地域にとってはとても重要。11月頃にはコメやショウガの収穫が終わり、翌年3月頃までは農閑期となります。この農閑期に副業として何か仕事はできないかという勤勉な大野見の皆さんと、その頃ちょうど最盛期を迎える七面鳥生産がうまく合致したのが、現在まで生産が続く大きな理由のひとつです。
七面鳥が大野見に来てから60年。その長い歴史とこれまで七面鳥生産に関わってこられた皆さんのご尽力に、日々責任を感じる毎日です。
日本では馴染みが薄く、食文化として食べる習慣のない七面鳥ですが、大野見という日本の山奥の知られざる地域では、このようなきっかけから小さいながらもひとつの食文化となっていると感じます。七面鳥を食べてほしいというのはもちろんですが、これまでの歴史や七面鳥との関りも知っていただいたうえで、まず興味を持っていただければ嬉しいです。
ではなぜ興津に七面鳥が存在していたのか?そもそも日本にはどのようにして七面鳥が登場したのか?日本で初めて七面鳥を食べた人物とは?
次回は日本における七面鳥の歴史についてお話させていただきます。
![松下昇平](https://img.retsta.jp/rkc/media/1/writer/松下昇平さんプロフィール写真.jpg)
高知県中土佐町在住、大阪府藤井寺市出身。1988年3月9日生まれ。
2017年、中土佐町大野見地域で60年続く七面鳥生産の仕事に魅力を感じ中土佐に移住。
「大野見と七面鳥」について様々な角度、形で学び、発信しています。
コラムは毎週水曜日更新予定!
2017年、中土佐町大野見地域で60年続く七面鳥生産の仕事に魅力を感じ中土佐に移住。
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