
夫・谷干城の出世を支えた妻・谷玖満子~土佐の偉人コラム「歴史のなかの土佐人たち」~
2026.03.31
高知に縁のある武将や政治家、実業家、学者、作家などの偉人、有名人は、どんな人物だったのか?諸説ありますが、伝記や言い伝えを元に短くまとめたプロフィール、そして意外と知られていないエピソードなども交えて毎回一人ずつ紹介しています。
『質素倹約で夫の谷干城を支えた良妻・玖満子』
谷玖満子、と聞いてその人物像を思い浮かべる人は少ないかもしれません。
高知県民でも「初めてその名を聞いた」と言う方もいるのではないでしょうか。
今回は熊本城を守った名将として知られる四万十町窪川出身の谷干城(たてき)の「妻」玖満子(くまこ)にスポットをあてます。

画像提供:四万十町(本庁)にぎわい創出課
谷玖満子は1845年・弘化(こうか)元年の12月25日、土佐藩士・国沢七郎右衛門(しちろうえもん)の次女として高知城下で誕生しました。
幼い頃から裁縫を始めとした家事全般を完璧に習得していた玖満子は、19歳の時に谷干城と結婚。
ただ、当時26歳だった干城は江戸への遊学中。両方の親同士が決めた結婚だったので、夫婦は式の日までお互い顔も知らない間柄でした。
また、両家とも身分は「藩士」でしたが谷家の方はとても貧しく、妻の親族の中にはこの結婚に反対する人もいたそうです。
結婚してからも2人の生活は苦しく、現在の高知市中久万に住まいを構えると、玖満子は綿を自宅で栽培し、それを糸車で紡いで、機織り機で織って着物に縫い上げるまで全て1人でこなしていました。
曲がりなりにも武家の女性がここまでするのか・・・と周囲の人は驚いたそうです。
その後、夫の干城が順調に出世街道を歩んで初代農商務大臣や学習院院長に就任しても、玖満子は質素倹約な生活は変えませんでした。
谷干城の名声が世に広まったのは明治10年に起こった西南戦争。
干城は西郷隆盛率いる反政府軍を鎮圧する為に、熊本にあった日本陸軍部隊の司令長官に任命され、52日間にわたる熊本城での籠城戦を繰り広げることになります。
干城は妻の玖満子に「戦いに臨む以上、命の保証はないので江戸の屋敷に帰るように」と伝えると、玖満子はそれを断固拒否!
「夫と苦楽を共にするのは妻として当然のこと。一緒に城へ立て籠もります!」と宣言、ついに干城も妻の決意に根負けし、籠城を許すことになりました。
高知県民でも「初めてその名を聞いた」と言う方もいるのではないでしょうか。
今回は熊本城を守った名将として知られる四万十町窪川出身の谷干城(たてき)の「妻」玖満子(くまこ)にスポットをあてます。

画像提供:四万十町(本庁)にぎわい創出課
谷玖満子は1845年・弘化(こうか)元年の12月25日、土佐藩士・国沢七郎右衛門(しちろうえもん)の次女として高知城下で誕生しました。
幼い頃から裁縫を始めとした家事全般を完璧に習得していた玖満子は、19歳の時に谷干城と結婚。
ただ、当時26歳だった干城は江戸への遊学中。両方の親同士が決めた結婚だったので、夫婦は式の日までお互い顔も知らない間柄でした。
また、両家とも身分は「藩士」でしたが谷家の方はとても貧しく、妻の親族の中にはこの結婚に反対する人もいたそうです。
結婚してからも2人の生活は苦しく、現在の高知市中久万に住まいを構えると、玖満子は綿を自宅で栽培し、それを糸車で紡いで、機織り機で織って着物に縫い上げるまで全て1人でこなしていました。
曲がりなりにも武家の女性がここまでするのか・・・と周囲の人は驚いたそうです。
その後、夫の干城が順調に出世街道を歩んで初代農商務大臣や学習院院長に就任しても、玖満子は質素倹約な生活は変えませんでした。
谷干城の名声が世に広まったのは明治10年に起こった西南戦争。
干城は西郷隆盛率いる反政府軍を鎮圧する為に、熊本にあった日本陸軍部隊の司令長官に任命され、52日間にわたる熊本城での籠城戦を繰り広げることになります。
干城は妻の玖満子に「戦いに臨む以上、命の保証はないので江戸の屋敷に帰るように」と伝えると、玖満子はそれを断固拒否!
「夫と苦楽を共にするのは妻として当然のこと。一緒に城へ立て籠もります!」と宣言、ついに干城も妻の決意に根負けし、籠城を許すことになりました。
『熊本城で夫と共に籠城!兵士の士気をあげ西郷軍の北上を防ぐ 』
司令長官の奥方が籠城すると聞いた部下の妻たちもそれに続き、皆で一致団結し西郷軍の北上を防ぐことに成功します。50日以上の籠城で食糧難に苦しむ中、玖満子は司令長官の妻という素振りを一切見せず、炊事から負傷兵の看病に至るまで懸命な働きぶりを見せました。
そういった彼女の言動は他の妻たちや兵士たちの士気を上げ、後に干城は玖満子について語る時、「自分は妻を、妻以上の極めて同情ある友達いわゆる〝同志〟である」と答え、晩年の手記には「自分が人間らしい人間になれたのは父と、師匠と、妻のおかげである」と最大の賛辞を送っています。
妻をここまで立てて、褒め称えるのは当時の男性社会では珍しかったと思えますが、玖満子はそれだけの働きをして夫を支えたということなんでしょうね。
また、谷夫婦はそれまでの功績を見込まれて、土佐藩第16代藩主・山内豊範(とよのり)の息子で当時8歳だった豊景(とよかげ)の教育を任され、谷家の自宅で10年以上共に暮らしています。
22歳の頃、豊景は谷家を出ますが夫婦宛の手紙には「自分を生んだのは実の両親ですが、ここまで成長させてくれたのは先生及び奥様です。14年間のご恩は山の高さにも海の深さにも及びません」など数々の感謝の言葉を綴っています。
最後に2人の結婚当時の話を。
新婚の頃、干城は玖満子がいわゆる〝好みのタイプ〟ではなかったので、何とかアラを探して離縁できないか、と毎日玖満子の言動を注視していました。
ですが注目すればするほど、家事に落ち度は1つも無い、義理の親に尽くす様は実の子ども以上、そしてとても賢い女性だった玖満子に感銘を受け、生涯を共にすることを心に決めたそうです。
後に玖満子が昔の話をする時に「新婚当時、夫は自分を追い出そうとしていた」という話題を持ち出すと、傍で聞いていた干城は「また昔話を始めたか、聞きたくない・・・」と言い、そそくさとその場を立ち去っていた、というエピソードが残されています。
今日は「谷玖満子」をご紹介しました。
【原稿監修協力 四万十町(本庁)にぎわい創出課】
📝執筆担当者のあとがき
谷玖満子と聞いて「知っている」と答える人は多くは無いと思います。夫で軍人で政治家「谷干城」も、高知県民の間でも必ずしも知名度が高いとは言えないかもしれません。
しかい谷干城は熊本城を守った人物として知られ、その功績から熊本県での知名度は高知県以上と言えるでしょう。実際に熊本城そばの高橋公園には干城の銅像が建立されています。
そして、その熊本城死守を陰で支えたのが妻の玖満子です。
50日以上に及ぶ籠城戦で食糧難が深刻だった中、玖満子をはじめとする兵士の妻たちも力を合わせ、西郷軍の北上を食い止めるため一致団結してサポートを行いました。
炊事から負傷兵の看病に至るまで懸命に働いたとされる玖満子。
女性の地位が今より低かった時代にも関わらず、夫の干城から「同志」と称されるほどの信頼を得ていました。その有能さと良妻ぶりは、まさに目を見張るものがあったのでしょう。
ぜひこの機会に、谷干城、そしてその妻・玖満子のことを多くの方に知ってもらえれば嬉しく思います。
そういった彼女の言動は他の妻たちや兵士たちの士気を上げ、後に干城は玖満子について語る時、「自分は妻を、妻以上の極めて同情ある友達いわゆる〝同志〟である」と答え、晩年の手記には「自分が人間らしい人間になれたのは父と、師匠と、妻のおかげである」と最大の賛辞を送っています。
妻をここまで立てて、褒め称えるのは当時の男性社会では珍しかったと思えますが、玖満子はそれだけの働きをして夫を支えたということなんでしょうね。
また、谷夫婦はそれまでの功績を見込まれて、土佐藩第16代藩主・山内豊範(とよのり)の息子で当時8歳だった豊景(とよかげ)の教育を任され、谷家の自宅で10年以上共に暮らしています。
22歳の頃、豊景は谷家を出ますが夫婦宛の手紙には「自分を生んだのは実の両親ですが、ここまで成長させてくれたのは先生及び奥様です。14年間のご恩は山の高さにも海の深さにも及びません」など数々の感謝の言葉を綴っています。
最後に2人の結婚当時の話を。
新婚の頃、干城は玖満子がいわゆる〝好みのタイプ〟ではなかったので、何とかアラを探して離縁できないか、と毎日玖満子の言動を注視していました。
ですが注目すればするほど、家事に落ち度は1つも無い、義理の親に尽くす様は実の子ども以上、そしてとても賢い女性だった玖満子に感銘を受け、生涯を共にすることを心に決めたそうです。
後に玖満子が昔の話をする時に「新婚当時、夫は自分を追い出そうとしていた」という話題を持ち出すと、傍で聞いていた干城は「また昔話を始めたか、聞きたくない・・・」と言い、そそくさとその場を立ち去っていた、というエピソードが残されています。
今日は「谷玖満子」をご紹介しました。
【原稿監修協力 四万十町(本庁)にぎわい創出課】
📝執筆担当者のあとがき
谷玖満子と聞いて「知っている」と答える人は多くは無いと思います。夫で軍人で政治家「谷干城」も、高知県民の間でも必ずしも知名度が高いとは言えないかもしれません。
しかい谷干城は熊本城を守った人物として知られ、その功績から熊本県での知名度は高知県以上と言えるでしょう。実際に熊本城そばの高橋公園には干城の銅像が建立されています。
そして、その熊本城死守を陰で支えたのが妻の玖満子です。
50日以上に及ぶ籠城戦で食糧難が深刻だった中、玖満子をはじめとする兵士の妻たちも力を合わせ、西郷軍の北上を食い止めるため一致団結してサポートを行いました。
炊事から負傷兵の看病に至るまで懸命に働いたとされる玖満子。
女性の地位が今より低かった時代にも関わらず、夫の干城から「同志」と称されるほどの信頼を得ていました。その有能さと良妻ぶりは、まさに目を見張るものがあったのでしょう。
ぜひこの機会に、谷干城、そしてその妻・玖満子のことを多くの方に知ってもらえれば嬉しく思います。

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